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1 薔薇 を ばら と読む不思議

人の歴史には、必ずばらがそこにあります。

【ギリシャ時代】

 ばらは香料と花環に利用されていました。
 ホメロスのイリアスの中に、次の記述がある。

 (アキレスに殺された)ヘクトルの遺骸は女神アフロデイーテが薔薇の香油を塗っておいた為、
 野犬に害されずにすんだ。

 また、抒情詩人の詩に、お客を呼ぶからばらの花環を6個買って来いと言う場面があります。
 ばらの花環は、この当時容易に購入できたと思われる。


【ローマ時代】

 花環として用いられると共に、ばらの花びらに埋もれる絵があり、これが贅沢の象徴でありました。


【中世ヨーロッパ】

 ローマ時代の贅沢の象徴であったバラの使用を廃止すると共に一般のばらの栽培を禁止し、唯一修道院で聖母マリアの象徴としてのみ栽培をしていました。


【ペルシャ】

 アラビアンナイトの時代 オマル・ハイヤムの詩の中に快楽の象徴として、
 ばら、ナイチンゲール(日本名 小夜啼き(さよなき)うぐいす),ブドウ酒が出てきます。


【ルネッサンス】

 暗黒時代から、ギリシャ・ローマ時代に戻って自由な表現を、という文芸復興が起こり、表現が自由になり、絵画の中にばらが描かれています。
 ボッティチェリの描いた「春」に女神フローラがスカートの中にばらを入れ、そのばらを撒き散らし、春を呼んでいる絵が有名です。(1478年)
 ここに描かれている紅ばらはガリカ、ピンクはダマスク、白はアルバ、
 この3種のばらは、園芸高校バラ園にあります。
 また、「ビーナスの誕生」の絵には、ダマスクローズが描かれています。


【イギリス】

 ルネッサンスと同じ時代に、有名なばら戦争(1455~1485年)がありました。
 この戦争は、兄弟であるランカスター家(紅ばら)とヨーク家(白ばら)が王位を争う血まみれの戦いでした。結果はランカスター家のヘンリーチューダーがヨーク家のエリザベスと結婚し、ヘンリー7世として即位してチューダー朝を興し、赤ばらと白ばらを重ねてチューダーローズとしました。その後、ヘンリー8世がこの時代を安定させました。
 チューダー朝はエリザベス1世で終わりますが、チューダーローズは現在も英国で愛され様々な場面で意匠を変えて使われています。


【フランス革命】

 ポンパドール(ルイ15世夫人)、マリー・アントワネット(ルイ16世夫人)は、ばらの時代を築いたと言われています。
 フランス革命の後にたったナポレオンの妃ジョセフィーヌはマルメゾン宮殿に世界のばらを集めました。この頃中国から四季咲きのバラが入って来て、欧州のばらと交配されてばらの種類は飛躍的に増加しました。それらのばらをルドゥーテに描かせそれは19世紀のはじめに「ばら図譜」として出版されました。

1867年 ラ・フランスが発表されモダンローズ第一号となり、

    モダンローズの時代なっていきます。

1945年 第2次世界大戦終戦の年に、

    平和を願ったピースを発表したのは記憶に新しいことです。

 歴史的な名花といえるラ・フランス、ピースは、園芸高校バラ園にあります。

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ラ フランス

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ピース

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