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都立園芸高校のバラ園ができるまで
〜鈴木省三記念バラ園 造成の記録〜

1 経歴とバラ園に込めた思い

 バラ園の造成は、鈴木氏のバラ苗の寄贈の申し出に始まります。ここで鈴木氏の略歴をご紹介し、バラ園に込められた願いをひもといてみたいと思います。

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 氏は本校を昭和8年に卒業した後、昭和13年に「とどろきばらえん」を創園し、バラ苗販売の傍ら、バラの育種に情熱を傾け、新品種作出に挑戦し続けました。昭和33年、京成電鉄による「京成バラ園芸株式会社」設立の企画に参画し、千葉県八千代市に造られた「バラ園芸研究所」の所長に就任します。バラの育種には膨大な手間と時間を要し、新品種が認められて世界に売り出せるまでには10年もの歳月が必要と言われます。所長就任後は、それまでにも増して数々の新品種を作出し、やがて1987年に作出した「光彩」が、世界のバラ新品種品評会で最も権威あるAARS賞(All American Rose Selection)を受賞します。これが日本人として初めて鈴木氏がバラの世界的育種家として認められた瞬間でした。


 氏の育種にかけた情熱が実を結ぶと、後進の生徒たちにもバラの美しさ、バラ栽培の楽しさを知って、バラの品種改良の歴史を学んでほしいとの思いから、それまでに氏が世界中から集めた原種バラからオールドローズ、現代バラに至るまで、バラの園芸史に残る約200種600株のバラ苗を寄贈してくださいました。本校のバラ園400坪にはこれらのバラが系統的に植栽されており、鈴木氏によれば、バラの品種改良の歴史が学べる日本で初めての「理想的なバラ園」の誕生となりました。

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 京成バラ園の鈴木氏の研究室には、バラに魅せられた各会の著名人が訪れました。

 鈴木氏はバラを通して美術や文化に造詣が深く、園芸人であると同時に文化人でもありました。

 この日の客人は、日本におけるポプリ研究の第一人者熊井明子氏です。映画監督 熊井啓氏の奥様と言えばおわかりいただけるでしょうか。

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